製薬MTデータベース拡充を‐アジア太平洋機械翻訳協会会長 安達 久博氏に聞く
アジア太平洋機械翻訳協会(AAMT)の新たな会長に安達久博氏(サン・フレア代表執行役員、工学博士)が就任した。企業、大学の研究者を経て現在の翻訳企業と、40年以上にわたり機械翻訳(MT)に携わっているスペシャリストだ。安達会長が注目することの一つは、日々進歩する生成AIがどのような活用がされ得るのか。今年度のセミナー、年次大会でも話題になると見ている。
――副会長から会長になった。自己紹介を。
大学院を出たあと、東芝に就職し、総合研究所のMT研究チームに配属されたが、すぐに京都大学の長尾真氏(当協会創立者/京都大学名誉教授/故人)の教室に派遣された。当時の科学技術庁のMu(ミュー)プロジェクトにおいて、日本初の実用的日英機械翻訳システムの研究、構築に携わった。故長尾先生からご指導いただく機会に恵まれたほか、当時は前会長の隅田英一郎氏も日本アイ・ビー・エムから来られており、のちのちにMT分野の指導的立場になる錚々たる研究者が集まっていた。私を成長させるきっかけになった機会だった。
東芝には約10年、その後に大学に籍を移して教育・研究に約10年、そして現在の翻訳企業で約20年と、計40年以上MTに携わってきた。今年の6月までは日本翻訳連盟(JTF)の会長も務めた。
東芝、大学ではMTを開発する立場、翻訳企業ではMTを利活用する立場の双方を経験し、今日のMTを双方から眺め、今後の発展を考えられる立場として、今回会長を引き受けた。
――会長就任の抱負を。
これまでも副会長として会長を支えながら協会活動に携わってきた。隅田氏が会長に就任された6年前、NMT(ニューラル機械翻訳)が本格化し、翻訳精度が飛躍的に向上した。NMTはMTの天井を突き破ったと言われ、専門的な内容でもMT(機械翻訳)で翻訳した後に、翻訳者が修正を施すポストエディット(PE)の重要性は増す一方だ。これについては発注側、受注側の双方に資する取り組みを考えている。
そして現在、生成AIが話題になっている。当協会の今年の長尾賞(機械翻訳システムの実用化の促進に貢献した者、実用化のための研究開発した者を顕彰)のテーマは生成AIにつながるものであった。(国立情報学研究所の黒橋禎夫所長の呼びかけのもと、オープンかつ日本語に強い大規模言語モデル〈LLM〉を構築し、LLMの原理解明に取り組むことを目的として発足したチームが受賞)生成AIがこれからどのような新しいサービスを生むのかに関心が出ている。そこでAAMTとして問題提起していきたい。
――MTとPEの取り組みについては。
新たに「MTPE委員会」を立ち上げること決めた。翻訳のPEにおいて求められる基準、要件を定義し、テンプレートを作って、発注側、受注側双方の取り決め(要件定義)に活用するガイドライン(GL)を提案したいと考えている。エンドクライアントの方々にも入っていただいて検討を進めたい。
MTPEの重要性は増す一方であり、発注側、受注側の双方がこのGLに沿って対応することで、円滑かつ質の良い翻訳につながることを期待している。MTPEの機運をさらに高めたい。
――生成AIについては、どうでしょう。
生成AIがどう利活用されるのかを想定すると、翻訳に関する国際標準であるISO規格の取り扱いが課題になるのではないかと考えている。
ISO規格には、品質の高い翻訳を提供するためのISO17100、PEの品質を保証するための作業概要、プロセスなどを規定したISO18587があり、両規格を改定する議論が始まっている。同時に両規格を一緒にした方が良いのではないかという議論も出ている。
実際にこれが決まるまでにはまだ数年はかかると思うが、これらの議論からは、おそらくノン・ヒューマントランスレーションを想定しなければならないのではないかとも思える。われわれもいろんな議論が必要になると考えている。
どういうことかというと、今まで人がやっていたMTのチェック、修正を、生成AIにやってもらい、人は最終的なレビューを行うというLLMによる自動ポストエディット機能を使用した新しい翻訳ワークフローを提案し、生成AIの利活用の一つとしてそういう方法はあり得るのではないかということ。
そこをわれわれとしてフィージビリティスタディの結果を示しながら、問題提起をし、議論を喚起したいと考えている。このセミナーは9月に開催したが、好評のため、アンコールセミナーを10月に開催する予定だ。
薬事日報読者の皆さまには特別に会員価格で講演資料と共にご参加ができるように対応させていただきます。このセミナーを契機に年次大会でもいろんな発表が出てくると思うし、議論が広がることを期待している。
――生成AIの話は具体的に進みそうか。
まだ分からないことは多いが、今後労働人口が減っていく中では、翻訳企業でも避けて通れない話になるだろう。
翻訳企業の翻訳者も当然減ってくることが見込まれる中で、労働集約型事業がどこまで持続的かは考えなければならないかもしれない。そこで、MT後のPEの一定程度を生成AIが行うということは視野に入ってくる。例えば、膨大な承認申請資料の翻訳が作成しやすくなるかもしれない。
そうやって売上と共に人件費も高まるという労働集約型の事業構造が、知識集約型に変わってくるのではないか。
変化するMT環境に対応を
――生成AIの利活用は製薬業界にも影響してくる可能性があるとの指摘だった。製薬業界におけるMT活用の課題は。
製薬業界には、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)と世界の大手製薬企業8社と共同で構築した業界向けMT翻訳のための大規模データベースという成果があり、これは実用化されている。
このデータベースを今一度、拡充した方がよいと思っている。拡充すれば、精度も汎用性も高まる。加えて近年の再生医療や細胞医療のような新しいモダリティの出現で、これまでの医薬品開発にはなかった考え方や用語に対応する必要があるのではないかと考えるからだ。
規制や科学技術が変わっていけば、データをアップデートしなければならない。アップデートにはコストがかかる。個々の企業が対応するのもよいけれども、共通の基盤として構築した方がよいのではないかと考える。そこにはAAMTとして助言など協力できることはあると思う。
――最後に、読者にメッセージを。
生成AIに見るようにMTを取り巻く環境は刻々と変わる。また、当面の翻訳をより質の高いものにするためにも、当協会で得られる最新の情報をいち早く得て業務のヒントにし、当協会での人的交流もまた貴重な機会になるはずだ
今年の年次大会は「機械翻訳の進歩と調和」をテーマに12月3日に開催する。入会と共に参加申込みしていただくと入会金を免除する特典も用意しているので、ぜひこの機会に入会をご検討してほしい。
アジア太平洋機械翻訳協会
https://www.aamt.info/