ヒトES細胞を、簡単な薬剤処理を行うことで大量培養することに、理化学研究所の笹井芳樹氏(発生・再生科学総合研究センター細胞分化・器官発生研究グループディレクター)らのグループが、世界に先駈けて開発した。成果は、再生医療への応用に必須である細胞の品質管理、大量培養、分化技術の開発に貢献するもので、医療産業への応用の面でも、新薬開発や安全性研究を加速させることが期待される。米国科学雑誌「ネイチャー・バイオテクノロジー」オンライン版(27日付)に掲載された。
ヒトES細胞の培養をめぐっては、未分化ヒトES細胞の増殖を促進する因子が明らかでないことに加えて、ヒトES細胞は培養過程の様々な操作で容易に細胞死を起こしてしまうことが、解決できない二大問題だった。特に、マウスES細胞では培養の際にトリプシン処理して細胞を一つずつバラバラにしても、死滅することはほとんどないが、ヒトES細胞ではそうした分散処理をすると、2日以内に99%の細胞がアポトーシスを起こしてしまうという障壁があった。そのため、細胞塊(コロニー)を機械的に少し小さくほぐして植え継ぐ「株分け培養」という非常に非効率的な方法で、ヒトES細胞は培養されてきた。
笹井氏らはそれを解消できないかと、運動神経細胞などのごく特殊な細胞死に関わっている可能性のみが示唆されていたRho蛋白質と、Rhoが結合することで活性化されるRhoキナーゼ(ROCK)という酵素に着目して研究を行った。その結果、ヒトES細胞をバラバラに分散すると、すぐにRho蛋白質の活性化が起こることを発見した。
Rho蛋白質の活性化は、ROCKの活性化を引き起こすことから、ROCKの選択的阻害剤であるY‐27632を用いたところ、ヒトES細胞の分散による細胞死が強く抑制されることが分かった。実際に、ヒトES細胞をROCK阻害剤を含む培養液で育てた成績では、ES細胞1個当たりの細胞塊形成率が約30倍も向上する結果が得られている。
従来の「株分け」培養法では1カ月かけてやっと100倍程度だったが、ROCK阻害剤を使う新しい分散培養法では、計算上1カ月で1万倍以上に細胞数を殖やすことが可能で、今後のES細胞研究を推進するブレイクスルーになりそうだ。
また笹井氏らは、この方法を使って、ヒトES細胞からの大脳皮質前駆細胞の効率的な産生にも世界で初めて成功した。笹井氏らは既に、マウスES細胞から大脳神経前駆細胞を効率的に産生する手法を開発しているが、手法として細胞分散および浮遊培養のステップを含んでいたため、ヒトES細胞では強い細胞死が起きて難しかった。しかし、ROCK阻害剤を添加するとES細胞は分散、浮遊培養にもかかわらず高い生存率を示し、三つの神経分化阻害シグナル因子に対する阻害剤を投与することで、大脳皮質前駆細胞の産生に成功した。
今後の研究開発について研究グループでは、[1]なぜヒトES細胞でだけ細胞死が高頻度に起こるの解決する基礎研究[2]新規培養法を用いて、臨床応用に使えるより高い品質のヒトES細胞を大量に培養するプロセス技術の開発[3]マウスES細胞で開発済(または開発中)の有用細胞(視細胞など)産生技術をヒトES細胞へ迅速に技術移転する[4]今回産生が可能になったヒト由来の大脳神経細胞を用いて脳梗塞やハンチントン病への細胞治療法開発や、アルツハイマー病などへの新薬開発研究の支援””を中心として、さらに研究を進めていくことにしている。