大阪大学と九州大学生体防御医学研究所の研究グループは、質量分析を用いて一つの細胞に含まれる成分の分布を可視化する独自のイメージング技術「シングルセル質量分析イメージング(SC-MSI)」を開発した。同計測システムは、生体組織や細胞成分を可視化に活用できると同時に、蛍光顕微鏡を用いた細胞の観察と、細胞の形状情報が計測可能となる。治療・診断技術の創成につながる情報の獲得が期待される。この成果は、英国科学誌「Commuications Chemistry」に14日、掲載された。
阪大の樺山一哉教授らはこれまでに、細胞の脂質や糖鎖に注目し、1細胞蛍光イメージングの研究を推進してきた。九大生体防御医学研の和泉自泰准教授らは、超臨界流体クロマトグラフィー/質量分析(SFC-MS/MS)を用いた細胞の代謝プロファイリングに取り組んできた。
今回の研究では、異分野融合研究を通じて、HeLa細胞に含まれる脂質の分布を高精細に可視化する技術の開発を目指した。
SC-MSIの実現には、高精度な計測システムの開発が必要となる。同研究グループは、倒立型蛍光顕微鏡との併用が可能な、コンパクトなt-SPESIユニットを新たに開発した。倒立型蛍光顕微鏡を用いることで、試料の裏側から、細胞とプローブ先端に形成された液架橋の両方を観察できるようになった。
実際の細胞表面は微小な凹凸がある。凹凸のある試料上を振動するプローブが走査すると、プローブの振動振幅が変化し、抽出とイオン化の条件が変化してしまう。そこで、t-SPESIユニットに、[1]レーザー光を用いてプローブの振動振幅を計測する仕組み[2]振動振幅を一定に保つために、プローブの垂直方向の位置を自動的に調整する仕組み――を導入した。これらを組み合わせたフィードバック制御機構を用いることで、凹凸のある試料に対して一定の振動振幅で抽出-イオン化ができるようになった。
t-SPESIではプローブの先端を細くすることで、抽出を行う領域を小さくすることができる。しかし、抽出の領域を小さくすると、生成されるイオンの量が減少してしまう。そこで同研究グループは、新しいプローブを考案した。先端を約2μmに尖らせたプローブの内部に、多孔質のシリカ粒子を充填することにより、溶媒中の不純物がガラス管の先端を詰まらせることを抑制し、毎分数nLの溶媒を安定的に流すことができるようになった。
また、t-SPESIで生成される気相イオンを質量分析装置に高効率に輸送するための輸送管も試作した。これら複数の要素技術を導入した新計測システムを用いることで、蛍光顕微鏡で細胞を観察した後、同一の細胞の成分像(イオン像)と表面形状像を一度の計測で取得することが可能となった。
今回の研究では、遺伝子プロファイルが異なる2種類のHaLa細胞のSC-MSIを実施した。ガラス基板上に培養された細胞に対して、蛍光観察用の色素導入と化学的な固定処理、不溶な成分の除去処理を実施した。また、t-SPESIで計測されたイオンがどの脂質に由来するかを推定するため、同じ種類のHaLa細胞をSFC-MS/MSで定量分析した。
SC-MSIで取得した2種類の細胞の脂質イオンの相対的な信号強度を調べると、細胞間で有意に信号強度が変化する脂質イオンを発見した。また、29種類の脂質イオンの信号強度を主成分分析した結果、異なる種類の細胞が別々のグループに分類された。
次に、有意差が確認された脂質イオンの分布像を、HaLa細胞の蛍光構造と比較すると、細胞の種類ごとに相対的な信号強度が変化すると共に、脂質の種類によって異なる分布をすることを見出した。
SC-MSIは、従来の手法よりも高い空間分解能で細胞の成分分布を見て知ることができるようになる。この特徴は、フローサイトメトリーや蛍光顕微鏡など他の1細胞分析技術とは一線を画し、質量情報に基づいて多様な脂質を高精細に可視化できることから、ライフサイエンスの基礎研究や応用研究への展開が見込まれる。例えば、疾患状態の生体組織の成分分布を細胞スケールで調べることで、バイオマーカーの発見や、病態の理解につながる情報が得られるようになると期待される。