大震災翌日から業務を再開
「共感する心」で安心感導く
岩手県の大船渡市、陸前高田市は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた。この2市で薬局各1店舗を経営していた中野雅弘氏(コスモ薬局代表取締役)も、自宅が津波に流され、難を逃れたコスモ薬局中央店(大船渡市)での仮住まいが続く。大災害を経験して中野氏は、「患者さんの健康を守るためにも、万が一に備え、業務を止めないデータ保存対策が不可欠」だと訴える。被災地では明日の見えない日々が続いているが、「どういう状況下であっても、普段と同じ気持ちで接することが、患者さんの安心につながる」と、常に“共感する心・気持ち”を持って患者に寄り添っている。
東日本大震災で、大船渡市、陸前高田市は、甚大な被害を被った。陸前高田市では街の8割が津波にさらわれ、街が崩壊。中野氏の経営する高田店、大船渡市内の自宅も流された。
しかし、地域住民の健康や医療体制を守るため、中野氏は大船渡市の県立大船渡病院に近接するコスモ薬局中央店に加え、陸前高田市で高田店を仮設店舗として復活させた。今は、被災を免れた中央店2階が中野氏の住居で、近くで自衛隊が設営した仮設風呂を利用する毎日だ。
大船渡病院は、大船渡市と陸前高田市など2市1町、人口約8万人を擁する気仙医療圏の中核病院(489床)。近隣の多くの医療機関や薬局が被災したことで、まさに残された砦として診療に当たっている。そのため、大船渡病院からの処方箋を応需する中央店は、地域全体の医療を支える薬局として、役割が一層高まっている。震災前は、大船渡病院からの処方箋を中心に、170枚程度を応需していたが、震災後は2~3倍をこなす日々が続いている。
大船渡病院近くには、中央店のほかに2薬局があるが、震災翌日(3月12日)には、先行して中央店を再開した。中野氏は、想像を超える被害から、「薬の供給など、大船渡病院だけで対応しきれない。要望があれば薬を提供しようと思っていた。そこに同院から、『患者がいっぱいで大変、処方箋を出すので営業してほしい』と依頼があり、3人で対応した」という。12日には約150枚、週明け14日には300枚、その後も多い時は約400枚に達した。
震災直後の2~3日は電気も通らず、ローソクや懐中電灯の光を頼りに調剤。薬袋は手書きし、途切れることのない患者に対応した。母親でもある女性従業員は、子どもを背負って業務を続けた。「まともに処方箋を受けられるような体制ではなかった」と振り返る。
当然、処方箋もほとんど手書き。「正直、判読できないものもあった。電話も通じず、現場判断で変更せざるを得ないケースもあった」という。処方医へは事後承諾の形になった。
当初、薬の調達も見通しが立たなかった。そこで、薬剤師会が病院側と相談。処方を「最初は3~4日分、その後は1週間、2週間と、薬の流通状況に合わせて伸ばした」。薬の流通が正常化してきたのは4月末になってから。近隣薬局とも「従来通りに連携を図り融通し合った」という。
「電子薬歴」が一番大事
コスモ薬局では、震災前から業務の効率化に向け、日立メディカルコンピュータのレセコン一体型・電子薬歴システム「Pharma-SEED」を導入している。薬歴の電子化、各種調剤機器との連動など、積極的な医療・医薬情報の電子・システム化と業務の効率化を図ってきた。直近では、大型の錠剤自動払い出し機も導入した。
ところが、大震災で停電し、機器類は全てストップした。「私たちの世代は、全て手作業だったので、苦にはならなかった。でも、時間がかかった。そのため一包化は、服用ごとに薬袋にまとめることしかできなかった。『ただ薬を出す日々』が続いた」と中野氏。
震災後は、普段、来局しない患者が多く押しかけたこともあって、新たな薬歴作成は後回しになった。ようやく入力ができる状況になったのは、4月中旬以降だという。調剤録も、混乱の極みだった3月分は未だに整理できず、調剤済み処方箋が山になっている。中には「請求書」の用紙を緊急“処方箋”としたものもあり、当時の混乱をうかがわせる。
大震災では、お薬手帳の有用性が改めて見直されたが、中野氏は「紙媒体より電子薬歴の方が、使い道があるかもしれない」と指摘する。
実際、津波に流された高田店では、従業員がバックアップデータを持ち出した。後日、日立メディカルコンピュータの担当者がノートPCを持って駆けつけ、データも復元した。高田店の薬剤師は、その“電子薬歴”を持って避難所回りをした。「うちの患者さんであれば、聞き取りしなくても、ある程度薬の処方などに生かせた。そういう意味でも電子薬歴は有用だ」と話す。
今回の被災を踏まえ、どういう調剤支援機器が重要であったかうかがうと、「全ての機器が重要だと感じた。中でも電子薬歴が一番大事。薬歴があれば、患者さんの状況も見えてくる」と中野氏。ただ、今後に向けては、「患者情報を“中央”で持っていてもらい、緊急の時にはダウンロードできる形が望ましい。津波で持っていかれればおしまい」とし、バックアップデータの外部保存が重要だと指摘する。
未曾有の災害を経験して、中野氏は「どういう状況にあっても、普段と同じ気持ちで患者さんに接することが一番大事。明日の生活も分からず、夜も眠れない。親兄弟、子どもを亡くし、職も失ったという方がたくさん来店する。そういう人たちに、少しでも元気を与えていかなければならない」と話す。
でも、心の傷を癒すのは難しい。「私たちのアドバイスで解決する話ではないが、話を聞いて、『そうだよね』と相づちはできても、『がんばって』とは簡単に言えない」と、被災者の一人として中野氏は実感している。それだけに、患者に共感し、寄り添うことが大事だと、実践している。
日立メディカルコンピュータ株式会社
http://www.hitachi-mc.co.jp/products/pharma-seed/index.html