ドラッグストア大手のツルハホールディングス子会社「くすりの福太郎」で、薬歴を記載しないまま診療報酬を不正に請求していたことが発覚した。患者の薬歴を書き、服薬指導を行う薬剤師としての基本で不正が行われていたことに大きな衝撃が走った。経営者の行き過ぎた利益追求や薬剤師不足など、様々な背景が指摘され、関係者からは非難する声も相次いでいる。
しかし、今回の問題が深刻なのは、かねて問われてきた医薬分業や保険薬局のありようという、根本的な土台が崩壊するきっかけになる可能性があることだ。折しも政府の規制改革会議は「医薬分業における規制の見直し」をテーマに、来月12日に公開討論を行うことを決めている。論点は、医療機関から薬局への移動が患者の利便性を損ねているか、院外処方の負担増に見合ったサービスを受けているか、分業の効果が本当に出ているかである。
まさに、多くの国民が素朴に感じている疑問が真正面から取り上げられる。個々の薬局が真面目に取り組み、日々患者の安全のために努力しているのは事実だろう。ただ、全体として医薬分業の意義が国民に浸透しているかというと疑問符が付く。これまで日本薬剤師会をはじめ、そうした疑問や不満に応えるため、誤解を解くよう説得に努めてきたとは思うが、なぜ同じことが繰り返されるのか。そこに焦点を当て十分に対応してこなかった積年のツケが、福太郎問題をきっかけに噴出することこそ本当の恐ろしさではないか。
患者と信頼関係を築けていれば、「多少の不便は仕方ない。その分、医療費を負担しても仕方ない」と納得してもらえるはずだ。2009年、民主党政権による事業仕分けで、医療用漢方薬の保険外しをめぐり大きな騒動になった。このとき、漢方薬を服用する患者から猛反対の声が上がり、大規模な署名運動に発展して保険外しがストップした。
その一方、例えば一般薬のインターネット販売が解禁されるまでの経緯を見ても、ネット販売推進派に対抗し、「薬剤師による対面販売が必要」と反対の声が盛り上がる事態とはならなかった。今後、福太郎問題をきっかけに医薬分業への不信感が高まり、バッシングが沸き起こったとき、「分業は必要だ」と応援してくれる声がどれだけあるかという問題でもある。
一部には、今回の不祥事が次期調剤報酬改定に響くと懸念する向きもあるようだが、目先の収入を考えていると見られたら、それこそ国民からそっぽを向かれかねない。医薬分業について誤解を解き、メリットを理解してもらう必要があるものの、現状では理解が得られていない。このそもそも論を突破できない限り、いつまでも事態は変わらないのではないか。
今度こそ先を見据え、どのような医療、サービスを提供すれば国民の支持が得られるのかを考え、行動とエビデンスによって「信頼」という土台作りにつなげていくしかない。