「橘の実」で「蛇の目」完成
同時にこのことが、鏡餅の上に「橙」を載せる理由にもなったのだろうと思われます。鏡餅を上から見れば、まさに「蛇の目」、蛇の目になるからです。但し、この「橙」は正式には「橘」の実だったようです。では、どうして「橘」なのかというと『日本書紀』に、それに関しての話が載っています。
垂仁天皇の御代、田道間守という人物が天皇の命を受けて、現在でいう「橘」の実を探し求めてきたというエピソードがあるからです。但し、十年の長きにわたってしまったため、見事に「橘」を手に入れて帰還した時には天皇は崩御された後で、田道間守は天皇の墓前に憤死したと書かれています。
もちろん、彼が探し求めてきた、それほどまでに大切な物が、ただの「橘」の実のはずもなく、ある物の象徴として描かれているわけです。しかし、とにかくその「橘」の実を、重ねた餅の上に載せることによって「蛇の目」が完成するのです。
「伊勢海老」は天照大神
そして先ほども書いたように、鏡餅の前面には「伊勢海老」を飾りつけます。ここで非常に勘の良い方は、ピンとくるかも知れません。鏡餅が大国主命などを表す「龍蛇神」をかたどっているのならば、当然、大国主命とペアで伊勢の神=天照大神が登場しないはずはないからです。というより、天照大神自身が龍蛇神であるともいわれてきました。平安時代に書かれた『蜻蛉日記』などにも、天照大神は、そのようなニュアンスで登場しますし、またそもそも伊勢神宮には、鏡餅の原型という「八咫鏡」が祀られていました。
そして、天照大神と大国主命の神々は、崇神天皇六年に揃って朝廷から追放されているのです。この後、六十年とも九十年ともいわれる長い年月をかけて天照大神は伊勢に落ち着き、大国主命は出雲に鎮まられました。この二柱の神々を象徴していると思われる「鏡餅」「伊勢海老」そして「鬼」の象徴である「門松」を、庶民が毎年の正月に飾るようになったのは、全くの偶然とは思えません。そこには、大きな歴史の慟哭が隠されているはずです。
このように、日本の風習にはさまざまな謎が含包されながら、今も引き継がれているのです。
高田崇史(たかだ・たかふみ)
作家、1958年東京都生まれ。明治薬科大学卒。『QED 百人一首の呪』(講談社ノベルス)で第9回メフィスト賞を受賞しデビュー以来、歴史の謎の深淵に潜む謎解きと推理小説を融合させた独自のスタイルを確立し、現在『神の時空』シリーズ等を継続中。薬剤師が謎解きに活躍する「QED」シリーズは漫画化もされている。最新刊は『神の時空―嚴島の烈風―』(講談社ノベルス)、『七夕の雨闇―毒草師―』(新潮社)など。
この記事は、「薬事日報」本紙および「薬事日報 電子版」の2016年1月1日特集号‐新春随想‐に掲載された記事です。