未曾有の被害をもたらした『3.11』から、今日でちょうど5年が経過する。
今月8日に消防庁災害対策本部が発表した最新の153報によると、一連の地震による3月1日現在の死者数は1万9418人で、行方不明者はいまだに2592人もいる。さらに原発事故も加わり、復旧・復興の長期化を余儀なくされることになった。やっと更地に建物が見受けられるようになったものの、多くの沿岸部ではかさ上げ工事が続けられている。まだまだ多くの時間が必要だ。
この近年で最大規模の震災は、想定を超える甚大な被害をもたらしたが、逆の意味で多くの教訓を与えてくれることにもなった。地震発生後は、沿岸部では過去に津波が来なかったとしても、何はともあれ、とにかく急いで高台へ避難すること。このことを子々孫々まで絶対に伝え続けていくこと。
文明社会は多くの便利さを享受させてくれるが、反面、一旦通常でない状況に陥ると一気に逆転する。電気がなくては非常に不自由な生活になり、車社会となった日本では、ガソリンの枯渇によって足自体を奪われたも同然だった。
医薬品関連では、特に薬を届ける医薬品卸の重要性が示された。停電で暗いセンターから薬を運び出し、瓦礫で寸断され、津波に水没した道をひたすら進んで、必要とされる現場に薬を届け続けた姿は、今も語り継がれている。
東日本大震災以降に稼働・竣工した医薬品卸の物流センターは、おしなべて「3.11」の教訓を取り入れている。できるだけ津波の影響を受けない高台に位置し、免震・耐震構造や72時間自家発電装置などは、もはや必須アイテム化しているほどである。
ある医薬品卸のセンターでは、庫内に自由になるスペースを確保して緊急時の荷さばき場所とすることや、入出庫トラックヤードを複数設けている。また、5年前に学んだ教訓を生かし、天井ボードを無くし空調設備も床に下ろして設置した。また、センター機能を稼働させる自家発電装置の重油のほか、通勤用のガソリン、人が働く上で必要になる水や食糧の備蓄も、5年前に学んだことである。
何があっても薬を届けるという使命を担っている医薬品卸は、考えられるリスクを可能な限り小さくしていくことに努めている。
直接の被害を免れた首都圏では、数百万人という帰宅困難難民が発生した。そのため、ハートに足が生えたマークでおなじみの災害時帰宅支援ステーションを9都県市で整備を進めており、数多のコンビニ、ファミリーレストランなどが参加している。
自然のスケールは人間の想定内でないことを知らされた。有史以前から教訓を学んできたが、それを忘れるのも人間である。教訓は学んだだけでは意味はない。生かして次へつなげることにこそ意味があることを、自身も含めて忘れてはならないことだ。