10月3日は長年の基礎研究が報われた日となった。今年のノーベル医学・生理学賞を東京工業大学の大隅良典栄誉教授が受賞した。今世紀に入ってからだけでも化学賞4、物理学賞、医学・生理学賞3、計16人が栄誉に浴した。2014年からは3年連続で日本人が受賞しており、自分はまったく関係ないのだが日本、日本人として誇らしい。
大隅氏が受賞した研究成果は「オートファジー」の仕組み解明である。恥ずかしながら、プログラムされた自殺アポトーシスは知っていたが、この自食・リサイクルするオートファジーはノーベル賞受賞で初めて知った。今後、解明されたオートファジーの仕組みを用いた薬剤の開発によって、いろいろな疾患の治療に役立つことを期待したい。
3年連続の受賞で沸き立った日本科学界だが、科学者たちの信念と熱意に基づく、長期間の地道で実直な研究がここにきて一気に開花したのであって、これからは受賞が少なくなっていくとの論調もある。
しかし、科学者たちはノーベル賞がほしくて研究しているわけではないことは、大隅氏が会見で基礎科学の重要性を強調していたことでも明らかだ。金儲けに直結しない、どのような成果を得られるか分からない基礎的研究を続けていくには、相当の覚悟が必要である。
長年の研究や調査は、医療界、医薬品業界でこそ最重視される。物理学で数十億年の謎に迫ることも大切だが、数十年しか生きられない人間の命に関する研究の方が、身近で緊急を要する課題である。
新薬開発には9~17年という時間と、莫大な費用がかかる。シーズを探してから新薬になる確率は2万分の1とされ、上市してもその後の調査は続いていく。製造販売後に重篤な副作用事例が頻発すれば、販売中止、回収という事態もあり得る。それまでの時間、コスト、労力が一瞬にして水泡に帰する。
このようなハイリスクを負いつつも、新しい医薬品開発を進めるのは、世界中で待ち続けている患者とその家族のためにほかならない、と信じている。この崇高な意志を完遂するには、意欲だけでは何ともならない。ボランティアでない限り、絶対に資金が必要である。
よって、開発に成功した画期的新薬は、べらぼうに高い。当然と言えば当然なのだが、最近、ここに着目した議論が出始めた。
オプジーボの薬価再算定のことではない。C型肝炎治療薬のように治癒という完璧なエンドポイントに達する薬は高いのも頷けるが、治療効果が不鮮明な薬は、どのような価格帯が適切なのだろうか。
抗癌剤が効いてどのように延命効果が得られたのか。また、QOLは改善したのか。医療費が高騰を続けている日本では、国家財政への影響から薬の価格も議論の土俵から逃れられない。作用機序による効果、治療結果を証明してこそ真の医療用医薬品である。