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日本を含む法治国家では、法律・制度改正が頻繁に行われる。制定時には最適だと確信して、もしくは期待してつくった制度であっても、時が経ち環境が変われば、当然のように制度の内容もそれに見合ったものにしなくては、存在意義と効力を失ってしまう。その代表格となってしまったのが、年金、医療保険等の社会保障制度だ。
国民皆保険は1961年に施行されたが、当時は高度経済成長で,人口も急増している元気な社会状況であった。一部の学識者を除けば立法、行政の誰一人として,21世紀の超少子高齢社会、減退する社会を予想していなかった。いや、できなかったと言うべきだろう。その意味では、故意・過失の範疇には入れられないものの、その後の推移からすれば,状況判断に甘さがあったことは否めない。
昭和時代の終わり頃には、既に少子高齢化という社会・人口構造の激変と、成長度合いが低下した経済(安定成長などと表現していたが)が実際に始まっていたにもかかわらず、永田町と霞ヶ関では制度改革の必要性だけは叫びつつも、実効性のある改革に着手することはなかった。
永田町では、与党による協議会やプロジェクトを数次にわたって設置し、医療保険制度の抜本的改革を試みたこともあった。
その場では、既に高齢者医療制度を独立する提案もあったのだが、給付と負担の調整ができなかったことに加え、選挙に与える影響の大きさなどもあってか、毎回小手先の改正を繰り返してきただけであった。
その結果、現在のように、進むことも戻ることもままならない、制度は閉塞状態に陥ってしまった。
社会保障制度後退の根本原因の一つとして、日本の急速な少子高齢社会による需給バランスの崩壊があることは間違いないが、有効な手だてを打てなかった政治家と行政官の姿勢が,大きな要因の一つと指摘されても反論はできないだろう。特に、年金に関しては言うまでもない。
制度改革は、正確な判断能力をもって、手遅れとならない適切な時期に迅速に断行する必要がある。これまで社会保障制度においては、この改革に移行させるための条件を満たせなかった。
道路交通法の改正などは、違反すれば罰金や行政処分という、即座に直接痛い目をみるため、改正内容に対する国民の関心は高く、極力知ろうとする。
法治国家では、法律が改正されたことを知らなかったからといって、罪を許してはくれない。社会保障においては、改正内容が適切であるかどうかの結果は、すぐに実施される保険料値上げなどを除けば、数十年後にしか判明しないという特異性があることも事実だ。
国民の理解も当然必要になる。日本国民は、ある程度の理不尽な改正内容にも従ってしまうが、こと特定業界に対する、民間の経済活動を圧迫するような制度改正は、当該業界筋から待ったがかかることが多分にある。
医薬品業界では、薬価制度改革に向けた論議も、今秋から再開されようとしている。業界を代表する日本製薬団体連合会が改革案を提示しているが、意向がそのまま通るとは誰も思ってはいない。政治と行政、業界がぎりぎりのつばぜり合いを繰り広げることになろう。
最終的には、国家財政と経済活動(新薬開発等も)の妥協点を探り、国民・患者も理解し納得できる改革になればと思う。
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