
日本医療機器学会が設立されてから、既に1世紀以上が経過した。この間、国産医療機器の品質向上を目指し、医療機器製造販売業者と医療関係者が手を携えて規格作りや国際交流の推進に取り組むと共に、医療機器を取り扱う人たちの教育や資格認定なども行ってきた。医療機器学会は今後どのような活動を進めていくのか、理事長の高階雅紀氏(大阪大学医学部特任教授)に、これまでの歩みも含めて考えを聞いた。
100年前に学会を立上げ‐目的は国産機器の品質向上
――日本医療学会が発足したのは1923年、今から102年前のことであり、それ以来、世紀を超えて活動を続けておられます。そこで今までの歩みを振り返り、まずは学会が設立された経緯をご説明いただけませんか。
高階 この学会は医科器械研究会、東京医科器械同業組合という医療機器メーカーの団体が母体となり、1923年に日本医科機械学会としてスタートしました。1926年には日本医学会の分科会に加盟し、2007年には日本医療機器学会に名称変更しています。
設立の経緯ですが、明治時代、日本でもいくつかの医療機器メーカーが創業し、1900年代初頭には国産医療機器と輸入された医療機器が市場に混在していました。ところが日露戦争で負傷された多くの人を治療した結果、国産医療機器は輸入品に比べて品質で大きく劣ることが明らかになってしまったのです。それを危惧した医療機器製造業の人たちが、優れた製品の開発や品質改善に取り組もうと考えて、研究会を立ち上げました。
ただし医療機器の開発、改良に当たっては、メーカーだけでなく医療の知識を持った医学者も必要です。そこで製造業者と医療従事者、当時は主として医師でしたが、その両者が手を携えて進んでいくために、学会を設立しようとなったのが、そもそもの始まりなのです。
――学会発足のきっかけが、国産医療機器の品質向上にあったというお話ですが、品質を高めるため具体的にどういう活動を行い、どのような成果を上げられたのでしょうか。
高階 製品の規格づくり、標準化ですね。一定の品質の製品を供給していくには、規格ができていなければなりません。各メーカーが好き勝手に製造していては、ユーザーが困るだけです。
最初に取りかかったのは、注射器の本体と針の接続部分、そこの規格を統一することでした。針が本体から抜けるようでいけませんし、針と本体でメーカーが異なっているから、接続できないというのでは役に立ちません。これが学会として上げた成果の第一号です。そこから学会の役割として、医療機器の規格化、標準化を進めようという流れが生まれました。
その後、私たちの学会から数多くの学会が分かれていきましたが、ISOやJISの医療機器に関わる部分の作成には、100年後の今も私たちの日本医療機器学会が関与しています。
――品質向上を目指すとなれば、当然、外国製の医療機器を研究することも重要になってくると思いますが…。
高階 そうです。やはり外国の進んだ技術を学び続けなければならない面もありますから、国際的な組織との連携を図ることも学会の大きな使命の一つになりました。第二次世界大戦後の話になりますが、AAMI(米国医療機器振興協会)を初め医療機器関係の国際的組織と姉妹関係を結び、多くの先進的な情報の吸収に努めています。
(【その2】に続く)