「光陰矢のごとし」。1年はあっという間に過ぎ去る。
多くの日本人にとって、この1年は長い人生でも特別深く刻まれる年月になったことだろう。自らを筆頭に、社会の仕組みから経済大国であるはずの日本国家まで、自然の猛威にはいかに無力な存在であるか思い知らされた『3・11』であった。
あの日からの1年間に何が変わったのか。
被災直後には民間企業のコマーシャルが消え、慶事などの明るい行事開催は全国でタブーとされて暗く沈み込んだ毎日を送った日本社会であった。少々辛いことを経験しても、膨大な数の亡くなった方や遺族、ふるさとをなくし追われた被災者に比べれば大したことではないと、全国民が思っていたはずた。
幾ばくもない時は流れて、暗いままでは再生も再興もままならぬと考えたのか、テレビはそれまでのような品のない番組が占拠するようになり、人々はバカ笑いで憂さを晴らす日々を送るようになった。番組予定を見ると、11日にはここぞとばかりに震災関連番組が昼夜を貫いており、「見捨てていない」ふりがあからさますぎて鼻につく。
震災時に世界を驚嘆させた日本人の他人を優先する素養と行動はほぼ消え去り、当時数万人いたボランティアも激減していると伝えられている。有史以前から大災害に遭遇してきた日本人は、いつまでも辛い過去にとらわれない特性があるからこそ、常に前を向いて発展を遂げてきたことも事実であり、日本人の両面性が如実に現れた1年間でもあった。
未曾有と表現される先の大震災は、それまでの常識を覆し数多の教訓を与えてくれた。地震と津波による直接の被害はもちろんだが、帰宅困難者の問題、水・食糧の買い占め騒動、ガソリン不足による生活への影響、そして原発事故による電力不足等々、これまで想定していた震災対策があまりにもお粗末だったと痛感させられた。
その中で、医療に携わる関係者の奮闘は、自衛隊、警察、消防、トモダチ作戦に従事してくれた米軍の活躍に負けてはいなかった。国民の生命と健康を守る最後の砦である医療は、有事の際にも底力を発揮して見事にその役割を果たしたといえる。医療に不可欠な存在である医薬品業界の関係者、特に流通を担う卸の活躍は高く評価された。
奇しくも、新生日本を本格的に築いていくことになろう新年度からは、新しく6年制薬学教育を修了した新社会人の門出となる。医療現場や地域社会で活躍していた薬剤師には、震災で無念の最期を遂げた先輩もいただろう。その遺志を継ぐためにも、6年制の薬学を卒業した新社会人、特にこれまでとはレベルが違うであろう新しく誕生する薬剤師には、医療人としての誇りを持って社会、国民に役立つ仕事ぶりを存分に見せてほしいものである。