今月初めに開かれた日本製薬工業協会の政策セミナーでは「医療社会主義」「なお払拭できないパターナリズム」「極めて低い患者満足度」、さらには塩崎恭久衆議院議員による「“四角いスイカ”は食べたくない、スイカは強い日差しで丸く育ったものに限る」など、名言、苦言、問題提起が続出した。
特に、日本を離れて16年という尾見茂氏(WHO西太平洋地域事務局長)は、海外から日本の医療を見た印象として、▽医療従事者に対する不信感▽疾病は診るが患者の“病感”に鈍感な医療従事者▽コミュニケーション不足による患者側の意思決定への無力感▽快適さに欠ける医療現場――と手厳しい言葉が続いた。
患者不満足の根本原因について尾見氏は、生物医学的方法論(還元主義、病気と病因の1対1対応、定量化・定性化可能な方法論の採用)を挙げ、この枠組みで理解できないものは取り上げてこなかったと指摘し、たこつぼ的視野を克服して新しい“人間医療学”を確立するよう求めた。
こうした海外からの見方に対し、国内から問題点を挙げたのが矢崎義雄氏(国立病院機構理事長)である。国民皆保険と公定価格制は、医療機関に対する低コストでのフリーアクセスを実現したものの、医療提供がパターナリズムとなり、全人的医療、安全性、エビデンスに基づいた医療、患者の選択権など、多くの課題を生じてきたと指摘した。
ここには医療費・薬剤費に対する根本的な考え方の相違がある。米国では医師による“医療行為”を主に評価し、薬剤は別払いのため厳しい市場競争が成立している。一方で日本は、診療報酬が公定価格の“現物支給”であり、医療評価による市場競争は成立しにくい。そのため、マクロ的には医療コストが効率的に見えても、ミクロでは医療サービスや薬の使われ方が非常に問題になる。医療費(薬剤費)はコスト抑制ではなく、コスト効率の改善を目標とするよう訴えた。
今回の政策セミナーは、医療費・保険政策よりも、医療そのものを語ろうとの趣旨であったが、どうしても保険政策に話が向いてしまう。矢崎氏は「政策リスクが極めて大きい。政策変更への対応に必死で、ニーズが見えてこない。包括↓出来高↓包括、紹介率の評価↓廃止とコロコロ変わる。振り回されているばかりだ」と一貫性のない政策を批判した。
要するに、医療政策を診療報酬主導で動かしてきたツケが、小児科・産科の例を挙げるまでもなく、地域単位、領域単位の人的資源偏在となって現れているのではないか。
医療の価格についても、今や国内で公定価格制度をとり続けているのは、医療だけになってしまった。公定価格廃止論を展開しようというのではない。価格を人工的に決めるのであるから、歪みは当然のごとく生じる。重要なのはそれを修正する方法にある。
今までは、ポリティックパワーのバランスで医療の価格が決まってきた。今後は透明性、客観性に裏付けられた、エビデンスに基づいた“価格”決定方法を生み出していくべきであろう。今こそ医療経済学、薬剤経済学の再構築に、人・金・物をつぎ込むべき時期ではないのか。