大塚ホールディングスの大塚明彦会長が療養中のところ、11月28日に77歳で死去した。大塚グループを輸液事業を中心とする収益構造から脱却させ、治療薬を柱とした世界的な製薬企業に育て上げた。通夜・葬儀は近親者のみで執り行った。後日、お別れの会を予定している。
徳島県鳴門市に生まれ、1960年に中央大学工学部を卒業して大塚製薬工場へ入社。76年に大塚製薬、翌77年に大塚食品の社長へそれぞれ就任し、その後はグループ各社の役員を兼任しつつ、2008年からホールディングス会長を務めてきた。
創薬を開始して10年後の1980年に初の自社新薬としてβブロッカー「ミケラン」、気管支拡張剤「メプチン」を発売し、88年には抗血小板剤「プレタール」、90年には胃炎・胃潰瘍治療剤「ムコスタ」を投入。2002年には現在の屋台骨となる「エビリファイ」を上市させた。
日々の健康維持・増進をサポートするニュートラシューティカルズ事業でも、ポカリスエットやカロリーメイトなどで経営手腕を発揮し、独自の商品で新たな市場を創出した。
また、世界を視野に入れた事業展開、女性の登用を進めたほか、大塚国際美術館の館長として地域の文化活動にも貢献した。
現在、世界で166社が医薬関連事業、ニュートラシューティカルズ事業、消費者関連事業、化学関連事業を展開。売上高は1兆4000億円、営業利益は2000億円に達する。