「一所懸命」が選択に影響
では、どうして頼朝が、そんな不便な土地に幕府を開かなくてはならなかったのか。これも簡単な理由です。その土地しか選択肢がなかったからです。
そんなバカな、とお思いになるかも知れません。関東武士たちを大勢従えた天下の頼朝ではないのか。関東平野のどこにだって、幕府を開くことができるはず……。
でもそれは、後世から見ての考えです。そもそも頼朝は「伊豆の流人」だったわけです。しかも石橋山の戦いでは大敗し、九死に一生を得て、ようやく武士団を率いることができるようになったばかりでした。それも、北条家という後ろ盾があったおかげだったのです。
しかも当時は「一所懸命」──つまり、自分の土地を守るために命を懸ける時代です。平家に逆らって旗揚げした流人に、土地を提供しようなどと考える武士は一人もいません。そこで頼朝は、仕方なく自分の父・義朝が、以前に鎌倉党(もともとの鎌倉の地元民)から無理矢理に奪った、といってもわずかな泥湿地帯に居を構えるしかなかったのです。その上、それも頼朝自身の意思ではなく、配下の千葉介常胤らに「鎌倉郷を目指し給え」と言われたのでその指示に従ったのでした。
最近では、教科書に載っていたあの有名な、威風堂々たる源頼朝像は、実は足利尊氏の弟・直義であろうという説が有力になってきているようです。そして、甲斐国──山梨県の善光寺の宝物館に置かれている頼朝像が、本人に一番近いのではないかといわれています。
ぼくも「鎌倉の地龍」を書くに当たって見学に行って来ましたが、ふっくらとして、とてもおだやかな顔をした木像でした。実際の頼朝は、とても人が良い男性だったのではないかと思いました。おそらく大きな力に操られて、いつしか歴史の表舞台へ登場してしまったのでしょう。
このように、鎌倉だけでも、まだまだたくさんの謎が隠されています。そして日本各地に残されている歴史の「常識」が、実は全くの勘違いだったり、あるいは誰かの手による作為的な歴史だったり、または意図的に何かを隠すために拵えられたりした事柄だったり……。そんなことが、意外と多いのです。
そのように歴史の流れの中に埋もれてしまっている謎を、これからもぼくなりに追って行きたいと考えています。ぼくの作品に登場する人物の口癖のように「歴史は覚えるものではなく、考えるものだ」と思っているからです。
今年もまた、よろしくおつき合いをお願いいたします。
高田崇史(たかだ・たかふみ)
作家、1958年東京都生まれ。明治薬科大学卒。『QED 百人一首の呪』(講談社ノベルス)で第9回メフィスト賞を受賞しデビュー以来、歴史の謎の深淵に潜む謎解きと推理小説を融合させた独自のスタイルを確立し、昨年から、新シリーズ『神の時空』シリーズがスタート。薬剤師が謎解きに活躍する「QED」シリーズは漫画化もされている。最新刊は『神の時空 ―貴船の沢鬼―』(講談社ノベルス)
この記事は、「薬事日報」本紙および「薬事日報 電子版」の2015年1月1日特集号‐新春随想‐に掲載された記事です。