阪神・淡路大震災から30年

2025年1月17日は、1995年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」から30年という節目の日である。阪神高速道路の倒壊やおびただしい数の建物の崩壊、神戸市長田区の大火災といった映像の数々は、多くの国民に衝撃を与えた。その後も、東日本大震災、熊本地震、昨年の元日には能登半島地震に見舞われたが、被災地において医薬品供給が困難に陥るような事態は起きなかった。それは、阪神・淡路大震災から得た経験を生かし続けているからだ。30年が経過して、当時の震災をリアルに体験した人も少なくなってきた。1.17から得た貴重な教訓を風化させずに次世代に語り伝えるべく、当時の現場状況を知るメディパルホールディングス取締役副社長の長福恭弘氏に語り部となってもらった。
臨機応変に行動
当時、私は三星堂大阪支店の病専2課に勤務していて、早朝の地震発生時は神戸の名谷の自宅にいた。ものすごい揺れに見舞われたが、震源地から20kmほど離れていたことから、幸いにも被害はなかった。通勤のため地下鉄の駅に向かうと電車は全て止まっていた。出勤を断念しようとは微塵も考えず、すぐさま車での移動に切り替えた。国道2号線を東へ進むと建物が崩壊した光景に出くわし、被害の大きさが徐々に分かってきた。
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