製薬企業と翻訳会社は連携を‐アジア太平洋機械翻訳協会会長 隅田 英一郎氏に聞く
機械翻訳(MT)の世界は今年にかけて話題のある年となった。生成AI技術の登場、そして製薬業界との関係では、中外製薬とアスカコーポレーションが共同で、MTの業務応用に貢献したとしてアジア太平洋機械翻訳協会(AAMT)「長尾賞」を受賞した。これら話題となった出来事がもたらすインパクトについて、MTの発展、普及促進のために関係企業などが参加するAAMTの隅田英一郎会長に聞いた。
――生成AIがMTにもたらす影響をどう見ているか。
十分に検証されておらず、あくまでも現時点(取材:7月)では、ハルシネーション(事実とは異なる内容や、文脈と無関係な内容が生成されること)の問題があり、無条件には使える段階ではないと見ている。それにチャットGPTのシステムを自社のサーバーに載せようとしても簡単にはできない。MTはパラメーターが10億ほどだが、チャットGPTは(公表されていないが)1000億超と言われ、100倍を超える強力な計算機が必要になる。
それに対しMTは、医薬、特許、金融とそれぞれの専門のシステムが開発され、高精度な翻訳が可能になっている。現状では、MTの方がまだまだ良いシステムと言える。ただし、これがあと半年、あるいは1年たった時にどうなっているのかは誰も分からない。
――今年の翻訳業界の大きな話題は、中外製薬とアスカコーポレーションが「AAMT長尾賞」を受賞したことだと思う。これまでの受賞者は翻訳会社または翻訳システムを開発する会社だったが、MTを活用した企業と、翻訳会社のタッグ。どう受け止めたか。
今回は、MTをいかに発注側の会社の仕事に生かすのかについて、翻訳会社とタイアップして取り組んだ点が新しかったと思う。翻訳会社にお任せではなく、発注側(中外製薬)と受注側(アスカコーポレーション)が、話し合いをしながら、どの程度の翻訳品質を目指すのかについて合意した上で進めることで効率的で高品質な翻訳につなげた取り組みだ。
翻訳の良し悪しは発注側の担当者によって決まるため、基準が不明確であり、そのためにやり直しなどが発生して非効率な面がある。むしろ、その不明確なところを汲み取り、翻訳をするのが優秀な翻訳会社、翻訳者と言われる傾向があった。
今回は、双方が主体的かつ連携して、ゴールを明確に定めて取り組まれた。連携して取り組むことはとても重要なことで、MTという道具をうまく使うプロセスを一緒に開発されたことが評価され受賞につながった。
今回は製薬企業のケースではあったが、これは製薬業界に限った話ではなく、どのような業界でも同様の連携プロセスは必要だと考える。
――製薬企業がAAMT入会で得られるものは何か。
良い翻訳と、そのためプロセスを作り上げるには連携が必要だ。そのベストプラクティスは、業界内だけでなく、業界の外のあちこちにある。例えば、今回の長尾賞の取り組みは製薬業界にとどまらず他の業界にも役立つ。逆に製薬業界もITや特許等の他業界の成功例に学ぶ機会を持てば、より良いプラクティスを得られる可能性がある。
これは、MTの活用に関する情報が集まっているAAMTに参加することによって得られる。それがAAMTの価値で、年間5万円の会費はリーズナブルだと思う。
多分野の人と情報交換することはとても重要だ。例えば、チャットGPTに対する会社としての対応について議論する際には、他の業界の対応例を広く知り、本質を理解して判断することが重要だ。AAMTはその情報を提供する場であり、その期待から法人の会員数は増加を続け、70を超す勢いだ。MTは技術の進化が激しい分野であり、最新情報を入手し、いかに活用していくのかについてAAMTは常にフォローしつつ発信している。
ニューラルMTが出てきたのが2016年、そして22年までの間に急速に性能がアップをしている。23年は生成AIの話が出てきて、この先どうなるのか、会員の皆さんの関心は高い。
年2回発行している「AAMTジャーナル『機械翻訳』」最新号の巻頭言にはチャットGPTを取り上げた。執筆したのはMTもAIも熟知する日本の代表的な研究者である。また、11月29日に開催予定のAAMTの年次大会でも生成AIにフォーカスを当てる。そのように最新の情報を発信するのがAAMTの責任と考えている。
ちなみにAAMTのセミナーでは、7月に「激動のAI業界―これからのデータ構築にどう取り組む?」と題して、チャットGPTをはじめとする生成AIの急速な普及に合わせたAIの学習データの構築を考える機会を設けた。
その前の5月31日には「ポストエディットの真実―英日PEに従事した翻訳者のアンケート結果より」と題したセミナーを開き、翻訳者への大規模アンケートを通じてAI時代の翻訳のあり方を探る機会を設けた。
さらに、論文を書く際のMT使用のコツ、近年必要性が高まっているIR情報を英文化する際のMTの使い方といった情報も発信している。
法律関係のテーマもある。例えば生成AIを使う時の法令や契約の問題。また医療分野では個人情報の取り扱いはシビアだが、その取り扱い上の課題も発信していく。
このように利用者レベルの悩みに応える情報がAAMTには集まっているので、ぜひ利用してほしい。
実践的な情報発信強化‐11月の年次大会に参加を
――実践的な情報が得られるわけだ。
セミナーは反響が非常に良く、今年度はさらに取り組みを強化する。
そして、製薬企業関係の方々も、情報収集だけでなく、様々な取り組みのケーススタディ、成功例、失敗例を含めて発信いただければ、会員の方に有益な情報になると思う。今回の「長尾賞」受賞の中外製薬さんの事例はまさに、その一例だ。
年次大会は11月29日に都内のAP虎ノ門で行う。様々な業界の方々との情報共有の場になる。非会員も一定の料金で参加できるので、ぜひ参加してほしい。
――メッセージを。
AIを含め技術は、それがあるだけでは使えないし、広まらない。関係者の方々が連携しながら育てていくことがとても重要だ。利用者と開発者と対話ができる場があるのがAAMTの特徴であり、役割だ。
開発者が技術を一方的に開発するだけでなく、実践に役立つように利用者が意見を言っていくことができる組織になっており、参加いただきたい。
セミナー、年次大会などAAMTの活動を通じ、日本のビジネスを効率的にしていく取り組みを一緒にやっていきましょう。
AAMT長尾賞とは
機械翻訳システムの実用化の促進、実用化のための研究開発に貢献した個人、グループを表彰する。2023年で第18回を数える。AAMT初代会長の長尾真氏が受賞した日本国際賞の賞金の一部を寄付し、AAMT長尾賞が設けられた。
アジア太平洋機械翻訳協会
https://www.aamt.info/